2009年04月21日

歩いた話

高校を卒業して大学に入るまでの一年間、予備校にもいかず浪人(?)して、東京(都下)に住んでた友人のアパートに転がり込んでバイトに明け暮れていたことは、以前にも書きました。

まあ、場所もはっきり書いてしまって問題ないでしょうね。
当時住んでいたのは東京都昭島市拝島町というところで、最寄り駅は西武線・JR線の拝島駅(料金面で、当時はもっぱら西武線を利用)。
高田馬場からなら、(乗る電車を選べば)乗り換えなしでいけます。

で、その頃、(私も後になって住むことになる)西武池袋線の椎名町駅にも、友人が住んでいました。
バイトが休みだったある日、その友人の部屋へ遊びに行き、結構遅い時間まで雑談をしていました。

明日はバイトだし、そろそろ帰らないと、と思ったのですが、来たときの経路(拝島→高田馬場→池袋→椎名町)を戻るのはなんだか面倒くさい、と思ってしまいました。
それに、お金もあまりなかったので、池袋−高田馬場間の電車賃ももったいない。
同じ西武線なんだから、池袋線側から回っていって、乗り換えて拝島までいく方法があるんじゃないのか、と考えたのです。

椎名町駅で路線図を見ると、所沢のあたりから線路がつながっていて、なんだかいけそうな気がします。
で、池袋方面ではなく所沢方面行きの電車に乗り、所沢で乗り換えて……

……着いたのは飯能駅でした。(^^;)
言うまでもなく、乗り間違えたわけです(所沢で降りて、次にどの電車に乗ればいいのか、すごくわかりづらかったような記憶があります)。

さらに、着いた時点ですでに逆方向は終電になっており、引き返すこともできなくなりました。
もちろん、タクシーに乗るお金も持っていません。
結構寒い時期で、始発まで待てそうな店も場所も見当たらず。
しかも、そのときのバイトは道路工事の交通整理で、シフトが決まっていて休むわけにはいかない。
また、バイト自体かなり早い時間に始まるので、始発まで待っていたのではおそらく間に合いません。

飯能から拝島。
果たして歩ける距離なのかどうか、そもそもどっちの方向なのかもよくわからないまま、とにかく歩き始めました。
途中、ガソリンスタンドで道を聞いたりしながら(同情したスタンドの人に缶コーヒーをおごってもらったりもしました)、ほぼ一晩かけて、何とか部屋までたどり着きました。

当然、疲れ果て、かなり眠い状況。
とてもバイトなどできるわけがありません(そんな状態で交通整理するのはかなり危険でもあります)。
バイト先に電話をかけ、「風邪で熱があるので休ませてください」と言ったのですが……

交代要員もいなかったため、上司が部屋まで押しかけてきて、「大丈夫大丈夫」という感じで無理やり連れ出されました。(^^;)
結局、その日はそんなへろへろの状態で、1日交通整理したのでした。

改めて今、地図を見ると、「まあ歩けなくもないかな」という距離ですが、とりあえず方向だけは大きく間違えなくて(結構うろうろしたとは思いますが)、ラッキーだったと思います。
posted by 土屋和人 at 13:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 昔話

2008年12月15日

パソコン通信

入社した当初に使っていたワープロ専用機からパソコンに変更したのは、当時のクライアント(サーバに対するクライアントではなく、顧客の意味。念のため)の要請があったからでした。

その頃、そのクライアントのところへは、ほぼ毎日のようにアルバイト(時には社員)が出向き、原稿やゲラの受け渡しを行っていたのですが(デリバリー、と呼んでいました)、当時はまだ本格的には普及していなかったパソコン通信を、そのやり取りに使用しよう、ということになったのです。
そのクライアントは出版社ではなくシンクタンクで、そういった新しい情報技術を、業務の中に積極的に取り入れていきたいという意向を持っていました。

それで、まず原稿の作成と編集には、お互いに一太郎を使用することになりました。
ここでも書いた通り一太郎Ver.3の文書は3ファイルのセットで、JXWはテキストファイルですが、ATRとCTLはバイナリファイル。
パソコン通信でも、バイナリファイルの送受信が前提条件となります。

その時はすでにNIFTYのサービスも始まっていたとは思いますが、バイナリデータの送受信についてはどうだったか……結局、選ばれたのは、今では名前もよく覚えていないパソコン通信サービスでした。
(もっとも、この仕事の後は、私のいた会社でもNIFTYが“標準”になっていくのですが)

専用の通信ソフトをPC-9801のAドライブに入れて起動し、Bドライブのフロッピーに入っている一太郎文書の3ファイルを、1ファイルずつ送っていくわけです。
当時のモデムの通信速度は、確か1200bpsか2400bpsだったと思います。

で、送信したら、忘れずに「送信しました」と電話連絡(笑)。

この時の経験で、私もいろいろなことを勉強させてもらいました。
この経験がなかったら、今このような仕事をしているかどうかも、正直わかりません(現在のこの仕事で正解だったかどうか、はともかく)。

ただ、当時は、パソコン通信で便利になったというより、正直「やることが増えてかえって面倒になったなぁ」と感じていました。
実際、パソコン通信のやり取りが始まってからも、そのクライアントのところへは、やはりほぼ毎日のようにデリバリーを出していましたし(笑)。
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2008年12月11日

初めてのパソコン

仕事で最初に触ったパソコンは、あの当時のスタンダードであるNECのPC-9801(細かい型名までは覚えてませんが)でした。

当時の機種のメモリは640KB。
ハードディスクもまだなくて、5インチフロッピーディスクドライブが2基付いてるだけ。
システム(MS-DOS)とアプリケーションの入ったディスクをAドライブに入れて起動し、作成した文書ファイルをBドライブのディスクに保存していました。
最初に使ったソフトは、一太郎Ver.3でした。

起動したらいきなりアプリケーションが立ち上がるわけで、その当時は“OS”の存在などまったく見えていませんでした。
MS-DOSのプロンプトなんて、ソフトを終了して「パソコンの電源を切ってもいい合図」ぐらいにしか思っていませんでしたし。

ファイルの操作もアプリケーションを通して行うため、そのアプリの文書ファイルしか見えず、フロッピーの中にどんなファイルが入っているのかも把握できない、という状態でした。
(MS-DOS時代に、仕事でパソコンを使っていただけの人には、そういう人は決して珍しくなかったと思いますが。)

一太郎Ver.3の場合、文書ファイルは、文字情報だけを収めたテキストファイル(拡張子.JXW)と、書式などの情報を収めた2つのファイル(拡張子.ATR、.CTL)、計3つのファイルによって構成されていました。
で、一太郎の機能でフロッピーのファイルを削除しようとしても、通常の状態ではJXWのファイルしか表示されないため、選択して削除できるのもこのファイルのみ。
一太郎でしか削除できない人のフロッピーには、主を失った文書ファイルの残骸が累々と残ってしまうことになり(^^;)、しかもその存在にも気がつかなかったわけです。

その後、MS-DOSのDIRコマンドとかDELコマンドなども習い、不要なファイルの削除程度はできるようになりましたが……今考えると、操作の対象も結果もすぐに見えない状態でのファイル操作というのは、目隠しで料理でもしているかのような怖さがありますね。
posted by 土屋和人 at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年12月08日

ワープロ専用機

会社に入って初めて触った「機械」は、パソコンではなく、ワープロ専用機でした。
機種は、当時、編集・印刷の分野でよく使われていた、富士通のOASYS。
業務で使うデスクトップ機は、5インチのフロッピーディスクドライブが2基付いていて、1枚は辞書、もう1枚に文書を保存していました。

同じ“ワープロ”という名前は付いていても、今のパソコンでワープロソフトを使うのとは、大げさに言うと文化そのものが違っていたような気がします。

まず、基本的に、入力は挿入モードではなく上書きモード。
ページ内のどこへでも(マージンの範囲内でさえ)カーソルを動かすことができたので、好きなところから入力し始めることが可能でした。
(もちろん、そんなことはしないほうがいいに決まっているのですが)

改行キーを押さなくても(見かけ上)改行できたので、矢印キーだけで“改行”してしまい、後で文字の挿入・削除があったときに行がずれまくる、というのも、当時のOASYSでは結構ありがちな失敗でした。

また、作業途中での保存ができなくて、保存するには一度文書を閉じなければいけないというのも、今考えると結構怖かったような……
(まあ、停電等以外では、トラブル自体少なかったのですが)

私が入社して数年後には、OASYS 300Aという、ちょっとしたDTP機能を搭載した上位機種も導入されました。
その頃、私は文章を書くのにはパソコン(PC-9801)で一太郎(4.3)を使っており、300Aは主に制作班が使用していましたが、私にも触らせてやろうという社長の親心(?)で、社内報をそれで作ったりもしました。

もっとも、DTPはすぐにMacintosh全盛の時代になり、編集用のマシンもMacが主流になっていきました。
OASYSの、融通の利かない“硬い”操作性に比べると、Macの操作は柔軟で、「何でもできる」ような印象を受けました。
その一方で、作業中に発生するトラブルの数も、それ以前とは比べ物にならないほど増加したわけですが。(^^;)
(今はたぶんそれほどでもない……と思いますが、当時は)

OASYSは、その後もしばらくは入力専用機として活用されていましたが、やがて“手書き原稿を入力する”という作業自体が減っていき、徐々にフェードアウトしていったようです。
posted by 土屋和人 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年11月12日

TM

そろそろ世間もだいぶ落ち着いたようなので、この件についてちょっとだけ書いてみます。

一群の「小室プロデュース」にはまったく興味がありませんでしたが、TM Network時代の初期のCDは結構持っています。
前に「マイナーなバンドのCDばかり買っていた」と書きましたが、当時のTM Networkは、ちょうどマイナーからメジャーに脱皮しかけたところ、という感じだったでしょうか。

中でもアルバム「Self Control」は好きでしたね。
音楽の専門的なことはよくわかりませんが、私にとってはほとんどこれがピークでした。

ただ、一つだけ気になったのは、ほとんどどの曲にも「夢」という言葉が入っていたこと。

私も決して嫌いな言葉ではありませんが、耳当たりがよくて抽象的で、なんだか便利に安く使われているような気もしました。

あの当時の、彼の「夢」の中身はなんだったんでしょうね。
posted by 土屋和人 at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年11月08日

バッチファイル

会社に入って最初に触れたパソコンは、NECのPC-9801でした。
よく考えたら、そのMS-DOSで書いたバッチファイルが、HyperTalk以前に、私が初めて体験した「プログラミング的なもの」だったのかもしれません。

当時はまだBATKEYコマンドとかもなくて、押されたキーに応じたエラーコードを返すプログラムを、作り方を本で読んで作ったような記憶があります。

もちろん、「プログラミング的」とは言っても(本当にそう言えるか、という不安もありますが)、所詮バッチファイルですから、できることは知れています。

具体的に何をしたかというと、会社の仕事用としては、思い出せるのはソフトの起動メニュー程度のものだけです。
その他にもいくつか書いた記憶はあるのですが、それがどのようなものだったかは全然思い出せません。(^^;)

会社の仕事以外では、テキストタイプのアドベンチャーゲームをバッチファイルで……作りかけて、途中で挫折しました。
「ゲーム」と言っても、要するに、選択肢を数字で示して、キー入力で選んでいくだけのものでしたが……書いていくうちに長くなりすぎたのと、途中で飽きてしまったので。(^^;)

ちなみに後年、HyperCardでも似たようなものを作りかけて、同じように挫折しています。(^^;)
posted by 土屋和人 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年11月07日

コマンドライン

昨日はVBAのイミディエイトウィンドウについて書きましたが、それ以前にも似たようなものを扱ったことがあるのを思い出しました。

それは、HyperCardのメッセージウィンドウ(メッセージボックス)です。

メッセージウィンドウの入力/表示領域は、イミディエイトウィンドウと違って1行だけしかありません。

コマンド(メッセージ)を打ち込んでReturn(Enter)すれば実行されますし、式を打ち込んでReturnすれば(「?」とか付けなくても)その結果が式に置き換わって表示されます。

VBEのようなコーディング専用画面ではなくブラウズ画面で普通に表示させられるので、処理の実行中にユーザーへのメッセージを表示するなど、いろいろな使い道がありました。

先にこういうものに触っていたので、VBAのイミディエイトウィンドウについても、いろいろな利用法を考えたくなったのかもしれません。


それ以前では、MS-DOSのコマンドプロンプトというのも、今思えば決して嫌いではなかったような気がします。
現在のWindowsなどとは違って、パソコンでそういった操作ができる人は会社の中でも限られていたので、ちょっとした優越感もあったのかもしれません。(^^;)
posted by 土屋和人 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年10月29日

COOL TOWN

高校を卒業した年は、家庭の事情で大学を受験することができず、一年浪人しました。
浪人といっても、予備校などに通ったわけでもありません。
ただ、漠然と東京には出たいなとは思っていたので、先に上京(といっても都下ですが)していた友人のアパートに転がり込んで、アルバイトなどをしていました。

アルバイトの内容は、工事現場の交通整理でした。
毎朝、社員の人が運転する車で現場へ向かうのですが、そのときのラジオ番組でよく流れていた(たぶん、その番組のマンスリーの曲か何かだったと思います)のが、「COOL TOWN」という曲でした。
歌っている歌手はそれなりに名前も知られていて、過去にはヒット曲もあった人ですが、その曲自体はそれほどヒットしなかったのではないかと思います。

私も、最初は特に何とも思わなかったのですが、毎日聴いているうちに、だんだん「あれ、結構いい曲かも?」と思うようになりました。

といっても、当時は状況が状況だったので、CD(あの頃はまだレコードだったかも)を買おうなどとは思いもしませんでした。
何年かが経ち(たぶん社会人になってから)、中古CDショップで「COOL TOWN」の入ったその歌手のベスト盤を見つけ、懐かしさもあって購入しました。
他の曲も結構気に入って、その後、割とよく聴いていました。

結局正規に購入したCDは1枚もないので「ファン」とまではいえないかもしれませんが、現在の彼女を巡る騒動をテレビで見ていると、「COOL TOWN」を思い出して、少し複雑な気持ちになります。

名前はあえて書きませんが、有名な落語家の娘さんで、先日やはり落語家と離婚した方です。
posted by 土屋和人 at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年10月12日

2人の女性ボーカル

私が昔よく買っていたCDというのは、結局、「国内のマイナーなバンドのアルバム」です。
洋楽にいかなかったのは、やっぱり歌詞が理解できたほうがいいかな……というところで。(^^;)

で、「FAIRCHILD」と「モダンチョキチョキズ」という2組のバンドのCDも、たぶん全部は揃っていませんが、結構持っています。
「マイナー」とは言っても、2組ともCMとか番組のテーマ曲とかでそれなりにメディアに出てはいたので、割と知られていたほうではないかと思います。

ただ、当時、どちらもバンドとしてのパフォーマンスをテレビで見た記憶はほとんどありません。
(単に私が見逃していただけなのかもしれませんが……。)

音楽的には「全然違う」か「少しは共通点もある」かのいずれかですが(専門的なことはわかりませんが、たぶん前者でしょう^^;)、1つの大きな共通点として、2組ともバンドとしての活動を終えた後、女性のメインボーカル(YOUと濱田マリ)がタレント(女優)になったということがあります。
2人とも、ピンのタレントになってからのほうがテレビでよく目にするようになり、カテゴリー的にも共通する部分が増えたような気がします。

モダチョキのほうのCDは割と子ども受けするので、車の中でよくかけていたのですが、そのせいでうちの娘は、テレビに濱田マリが出てくると、いまだに「あ、マリちゃんだ」といいます。(^^;)
posted by 土屋和人 at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年10月08日

編集業務の自動化 その3

その2の続きです。

HyperCardのスクリプト言語であるHyperTalkでも、テキストファイルを直接開いてメモリに展開し、メモリ上で処理して、ファイルに書き込む、という処理は可能でした。

このあたりの記憶が曖昧なのですが、最初の段階ではこういう処理方法すら理解できてなくて、いったんテキストをフィールド(Excelでいうテキストボックスのようなもの)に読み込むとか、そういう試行錯誤をしたような気もします。
もちろん、それだとかなりひどい結果になってしまうので、最終的には上記の方法にたどりついたはずですが……(^^;)

1の処理はこれでいいとして、2の発行機関データに関する部分の処理は、やはりExcel側のマクロで行う必要があります。
当時はまだVBAにもなっていなくて4.0マクロでしたが、HyperTalkに比べると、まったくと言っていいほど理解できていませんでした。

実は、Excel 4.0マクロでもテキストファイルの読み書きはできたはずなので、その気になればExcelだけですべての処理を完結することも不可能ではなかったと思いますが……
HyperTalkですらよくわかっていない処理なので、これをExcelマクロで書くなどということは、最初から思いつきもしませんでした。(^^;)

ただ、テキストファイルをExcelのドキュメント(ワークシート)として開いたうえで、ワークシート上で行う操作については、マクロの記録機能で、ある程度Excelに書き方を“教えてもらう”ことができます。
このやり方で、なんとか必要な処理をまとめることができ、自動マクロにして、HyperCardから開いて自動実行できるようにしました。

で、一応完成はしたのですが、やはり予想していた通り、その遅さといったら……(^^;)

HyperCardのカード上に置いた3つのボタンから実行するのですが(インターフェース、などと大げさに言うほどのものでもないですね^^;)、1の処理に約10分。
2の処理の前半(Excel部分)に約30分。
2の処理の後半(タグ付け)にやはり約10分。
……いずれも正確には覚えていませんが、だいたいそんな感じだったのではないかと。

後になって、ふと思いついて(何を思いついたのかは覚えていません^^;)スクリプトを大幅に修正し、かなり処理時間を短縮できましたが、それでも1の処理だけで5分ぐらいはかかっていたような気がします。

また、Bのほうで、全体を発行機関名基準で並べ替えることはできても、その中の資料名での並べ替えが、最終的には手動になってしまったような気もします。
(途中の段階でふりがなや番号を付けるとしても、やはり手動になりますし)

今なら……たとえ言語は違っても、この手の処理はどう書けば速くなるか、当時と比べれば多少は理解できているとは思っています(たぶん「何を使うか」というところから考え直すとは思いますが)。
当時のスクリプトがもしあの会社に残っていたら、今改めて書いてみて、比べてみたい気もします。

ただ、書き方がどうとかいう以前に、当時と今とではマシンパワー自体が全然違っているので、もし同様の作業をやるとしたら、「あの時かかった約1時間はなんだったんだ?」ということになるでしょうね。(^^;)
もちろんハードだけではなくソフトも進化していて、たとえば今のExcelなら、もともとふりがな情報のないデータにふりがなを自動設定することも可能なので(チェックは不可欠ですが)、内容的にも結構細かいところまで便利にできるはずです。
posted by 土屋和人 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年10月07日

編集業務の自動化 その2

その1の続きです。

元データにAのタグを付けるような処理だけなら、それほど難しくはなさそうだと思いましたが、このときはまだ、世間にはどんなツールがあって、それをどう利用すればいいのかもよくわかっていません。

処理速度が遅く、また日本語の扱いに難があることもわかってはいたのですが、とりあえず自分がある程度使いこなせて、かつ自分の求めている処理が実現できそうなツールは、この時点ではHyperCardしかありませんでした。

確かこのときはもう、私がこの仕事の担当から外れることは決まっていたので(あるいは、すでに別の仕事に変わった後だったかも)、別の人が作業することも考慮すると、HyperCardならわかりやすいインターフェースが構築できる、という思いもありました。

ただ、HyperCardで1と2の処理を行おうとした場合、とりあえずネックとなるのが、2の、発行機関の名簿データから必要な発行機関の情報を取り出し、資料の情報と関連付けて並べ替える部分の処理です。
カード型データベースソフトのように誤解されることも多いHyperCardですが、こうしたデータベース的な処理は苦手でした。

そこで、この部分の処理に、それまでのDOS版Lotus 1-2-3などとは格段に違う使いやすさに感心していた、Mac版Excel(バージョンはたぶん4.0)を利用することにしました。
HyperCardからは、他のアプリやそのドキュメントを開くこともできるので、Excelを利用しててもインターフェースはあくまでもHyperCard、という形にして。

発行機関の名簿データは、それまではやはりOASYS上で作成していたので、まずはこれをExcelに移行するという作業が必要でした。
元のOASYSデータの内容にはいろいろと問題もあったので、Excelに持っていって適切な形に修正する作業自体が、結構時間のかかる、地道な作業となってしまいました。

今なら、この処理のためだけのマクロを作って、データの不備な点に応じた修正を自動的に行わせるといったこともできるかもしれませんが、当時の私には、残念ながらそんなスキルはありませんでした。


その3に続きます。
posted by 土屋和人 at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年10月06日

編集業務の自動化 その1

昔勤めていた編集プロダクションには、大学四年生のときにアルバイトで入り、卒業後、そのまま就職しました。
勤め始めてからしばらくして、某シンクタンクの発行していた情報誌の編集(というよりは制作)の担当になりました。
担当……とはいっても、もちろん上にきちんとした正担当者がいて、そのアシスタント的な役割だったのですが。

その雑誌は、発行元の意向もあって、割と早い時期から制作工程のデジタル化(DTP化)を積極的に進めていました。
何年かその担当をしているうちに、どうせコンピュータを使うのであれば、特に機械的な作業の部分を自動化することはできないか、と考え始めました。

具体的には、次のような2つのページです。

A:直近に発行・発表された各種資料を一覧形式で紹介するページ。
掲載される情報は、タイトル、サブタイトル、発行機関等の名称、発行(発表)年月、ページ数、さらに資料によっては内容の目次構成や抄録、図表など。約20ページ。

B:Aの資料名を発行機関別に並べ替えた索引。
掲載される情報としては、まず各発行機関名が太字で入り、その住所と電話番号などの後に、各機関が発行した資料のタイトル・サブタイトル、およびその掲載ページが入る。順番は発行機関名の五十音順で、その中の各資料名も五十音順で並べ替える。
発行機関に関する情報は、別途、名簿化して管理。

まずAの元データをレイアウトを考慮に入れた形で用意し、そのデータから自動的にBを生成したい、と考えました。
元データは、当時はまだワープロ専用機(OASYS)で作成されており、それをテキストファイル経由でDTPソフトに流し込むのですが、あらかじめこのデータにタグを付けておくことで、DTPソフトでの書式設定の作業を省力化したいと思いました。
つまり、

1:Aの元データにAのレイアウト用タグを付ける
2:Aの元データからBのデータを作成し、やはりレイアウト用のタグを付ける

という2種類の処理を自動化したいと考えたわけです。


長くなりそうなので(^^;)、続きはその2に。
posted by 土屋和人 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年09月30日

HyperCardとLAN

HyperCardの便利な点、面白かった点はいろいろとありますが、個人的にはLANでの利用が楽しめました。

Macintoshは、割と早い時期からネットワーク機能を標準装備していて、比較的簡単にLANを組むことができました。
そして、プログラムリンクという機能で、他のMac上のアプリケーションを操作することも可能でした。
この機能を、わかりやすい形で利用可能にしていたのが、HyperCardとHyperTalkです。

AppleEventという仕組みによって、HyperCard同士ならほとんどすべての機能のリモート操作が可能で、他のソフトについても起動などのごく基本的な操作は行えました。
さらに、AppleScriptの登場によって、他のソフトの内部的な操作まで可能になりました。

こうした仕組みを利用して、HyperCard同士のシンプルなチャットのシステムを作ったり、ドラッグで書いた文字や絵を相手のHyperCard上で再現したり、あるいは音階を入力して相手のHyperCard上で演奏させたりもしました。
AppleScriptでFinderが操作できるようになってからは、たとえば複数のMacをリモートで一度にシャットダウンするといったことも可能になりました。

今ではそれほど大したこととは感じられないかもしれませんが、当時はまだ珍しかったと思いますし(Macintoshユーザーの間でさえ、それほど一般的ではなかったような)、そういう仕組みを自分で簡単に作れるところが魅力的でした。
(最近のMacのことは知りませんが、今では逆に、セキュリティの観点から制約が増えた部分もあるのではないか、とも思います)

アイデア次第では、もっといろいろと遊べたかも……と思うと、今では少しもったいないことをしたような気もしています。
posted by 土屋和人 at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年09月29日

HyperTalkの変数

念のため説明しておくと、「HyperCard」というのは昔のMacintoshに標準で付いていたマルチメディア開発ツール、「HyperTalk」はその専用のスクリプト言語です。
(「マルチメディア」という言葉も、もはやちょっとレトロ感がありますが)

HyperTalkは、文法が自然言語(英語)に近いため、それまでほとんどプログラミング経験のなかった私でも、いろいろと遊んでいるうちに、比較的容易にその勘所をつかむことができました。
スクリプト言語とはいっても、変数や条件分岐、ループといったプログラミングの基本要素は含まれているので、初心者の学習用には向いていたと思います。
ただ、その後でExcelのVBAを独習し始めたときに、HyperTalkとの「文化」の違いから、戸惑いを覚えるところも多々ありました(なまじ似ているところも多いだけに)。

その1つが、データ型の指定です。

そもそもHyperTalkでは、グローバル変数を除いて「変数の宣言」が必要なく、データ型の指定もありません。
バリアント型の変数と同様、処理の内容に応じて、変数に格納されたデータの種類が自動的に判別され、数値として計算されたり、文字列として加工されたりします。

また、HyperTalkには「配列」の概念もありません。
ただし、テキストを特定の区切り文字で区切って「line」や「word」、「item」といったキーワードで取り出すことができ、これを配列のように利用することは可能です。
区切り文字を指定して区切る位置を変えたり、もちろん全体を1つのテキストとして扱うことも可能なので、ある意味、VBAの配列よりも処理の自由度は高いともいえます。

これも一つの例ですが、全般的にHyperTalkでは、VBAに比べて非常に柔軟な書き方ができる印象があります。
HyperTalkに慣れてからVBAに触れると、VBAは「頑固」で「融通が利かない」ように感じられてしまいます。

こうした自由度の高さの反面、HyperTalkを使ってデータ処理を行おうとすると、結構時間がかかってしまいます。
もっとも、HyperCardを大量のデータ処理に利用しようとする人はそうはいないでしょうから(ここに一人いますが^^;)、処理速度は最初からそれほど重視されていなかったのかもしれません。

このような経緯もあって、VBAを学び始めた当初は、「変数の宣言」や「データ型の指定」の意義や必要性が、なかなか理解できませんでした。(^^;)
posted by 土屋和人 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年09月25日

とんかつの思い出

「美味しんぼ」11巻に「トンカツ慕情」という話があります。
アメリカで成功して30年ぶりに日本に帰ってきた富豪が、昔食べたとんかつの味が忘れられず、山岡の協力でそのとんかつ屋の主人夫婦を探し出す、という話なのですが……。

私にも、忘れられないとんかつの店があります。
学生時代と、社会人になってからの数年間、ずっと西武池袋線の椎名町と東長崎の間に住んでいたのですが、その店は、東長崎駅から歩いて2・3分ほどのところにありました。
店の名前は、仮に「A」としておきます。

当時、「とんかつ定食」が600円、「ロースかつ定食」と「ヒレかつ定食」が900円だったと思います(後に100円ずつ値上がりしましたが)。
貧乏学生だった私には、決して「安い」といえる金額ではありませんでした(実際、仕送りがきたときぐらいしか食べられませんでした)が、定食の内容からすると「本当にこの値段でいいの?」と思うほどの満足感がありました。

とんかつは、さくさくした衣と味のある豚肉。
一切れが、他の店よりも細く切ってあるのですが、600円のとんかつ定食でも結構厚みがあるため噛みごたえは十分で、より多くの切れを口に運べるという利点もありました。
細く切っても衣が崩れないのは、それだけしっかりした衣なのか、それとも店主の腕なのか……。
これに慣れると、太く切られた他店のとんかつが、どうにも洗練されていないように思えてしまったほどです。

キャベツは超大盛りで、お新香、味噌汁、ご飯のどれもが美味しい!
ご飯のお替りは100円で、半ライスは50円でしたが、「半ライス」と頼んでも、「ひょっとして間違えて普通のライスをくれたのでは?」と思うほど、多めに盛ってくれたこともよく覚えています。
それから、寒い時期に食べた、大ぶりでジューシーなカキフライの味も忘れられません。

店主がほとんど一人だけでやっているような小さな店でしたが、気さくな親父さんで、私のような愛想のない客にも、いろいろと話しかけてくれました。

仕事などで落ち込んだときは、いつもここのとんかつを食べに行き、元気をもらってきました。
二日酔いで寝込んでいるとき、突然遊びに来た友人に「久しぶりにあそこのとんかつが食いたい」といって無理やりつき合わされ、苦しい思いをしながら食べていたら、いつの間にか二日酔いが治ってしまったということもありました。

椎名町近辺から引っ越した後も、しばらくは西武池袋線沿線に住んでいたので、池袋方面に出かけたときに途中下車して立ち寄ったり、休日などは小一時間ほど自転車をこいで食べに行ったりもしました。

ところが、しばらくブランクが空いたある日、久しぶりに東長崎に出向いたところ……Aはなくなっていました。

その後、ネットでいろいろと検索して、「焼けてしまった」という情報も目にしましたが、詳細は定かではありません。

それからも、いろいろなとんかつ屋に食べに行きました。
肉の厚さややわらかさといった要素だけなら、Aよりも上の店はいくらでもあるでしょう。
だけど、そういう店は、例外なく高い。
コストパフォーマンスという言い方もちょっと違う気がしますが、Aの総合的な満足度に匹敵する店は、少なくとも私にとっては、今のところ存在しません。

※ちなみに椎名町には、やはり「安くておいしい」として有名な「O」というとんかつ屋があります。
こちらは、住んでいた当時からなぜか行きそびれていて、実は今まで一度も行ったことがありません。
この店は健在のようなので、そのうち一度行ってみたいと思っているのですが、今では椎名町を通過すること自体まずないので、ほとんど機会もなさそうな気がします。
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2008年09月23日

昔よく見た風景 その2

・自転車に名前
容疑者Xの献身」にも書かれていた話ですが、昔の自転車には必ず名前が書いてありました。
名前だけでなく、住所、さらには電話番号まで。
個人情報の保護に関して、今ほど神経質ではなかった、ということなんですが。

そういえば、小学生の名札も、今では登下校の際には付けていないんですよね。
確かに、昨今は、子どもが名前をぶら下げて歩いてたら危ないよなぁ、とは思います。
表札に家族全員の名前を書く家も、たぶん減ってきているのではないでしょうか。

・いきなり玄関を開ける
昔は、人の家を訪ねる際、いきなり玄関を開けて「ごめんください」とやったものです。
ドアホンの類も、ない家がほとんどだったわけですし。
玄関の構造にもよりますが、家の中が散らかっていても、すべて見られてしまったり……。
最近は、いきなり開けようとしても、鍵がかかっている家が多いのではないでしょうか(たとえ在宅でも)。

あ、でも、サザエさんの家は今でもこの方式ですね。(^^;)
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2008年09月18日

昔よく見た風景 その1

昔は普通にあった文化や風景なのに、今ではあまり目にしなくなったものを、思いつくままに。

単に時代による違いだけでなく、地域的な違いなどもあるかもしれません。
また、記憶に頼って書いているので、私の思い込みによる間違い(昔もそういう文化は一般的ではなかった、とか、それは今でも普通にあるよ、とか)もあるかもしれませんが。

・カレーのスプーン
私が子どもの頃は、カレーライスのスプーンをコップの水に入れて出す、というのを、レストラン(というより「食堂」かな?)などでやっていたような気がします。
家庭でもやっていましたが、むしろそれはレストランの真似をしていただけのような……。
今は、やってみようと思っても、何かちょっと汚い感じがして、抵抗があります。
ただ、当時としてはおそらく、テーブルにスプーンを直置きしたくない、という当時なりの清潔感によるものだったのかも。
そのために紙ナプキンを1枚無駄にするよりはエコかな、という気もしますが。

・食後のお茶
ご飯を食べ終わった後、米粒の付いた飯茶碗にお茶を入れて、茶碗をきれいにしつつ食後のお茶を飲む、という行為。
やはり今では抵抗があります。お茶は最後まで湯呑み茶碗で飲みたい。

・鍵をかけずに外出
これは完全に地域的な問題で、今でもこれが普通のところもあるだろうとは思います。
でも、少なくとも私の周り(現在の居住地、郷里含めて)ではそういう人は確実に減っていますし、たぶん全国的にも同じような傾向なのではないかと。

※また何か思いついたら書くつもりなので、とりあえず「その1」としました。
posted by 土屋和人 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年08月27日

心霊体験?

えー、一応お断りしておくと、昨日書いたことは、私の「心霊体験」だと言いたかったわけではありません。念のため。

当時は(若かったので)その可能性もあるかなと思っていたのですが、今は、私自身の脳が引き起こした、ちょっとした「いたずら」だったのだろうと考えています。

人間の脳というのは、実際、しばしばそういういたずらをするようです。
たとえば、いわゆる「金縛り」や、その状態で体験しやすいリアルな「夢」など。

そして、一見不思議な現象ではあっても、それを合理的に説明できる仮説が1つでも考えられるのであれば、わざわざ科学的に証明できない解釈を採る必要はないでしょう。

テレビでは相変わらずその手の番組が多いようなので(見てませんが)、一言、書いておきたくなりました。(^^;)
posted by 土屋和人 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話

2008年08月26日

消えていったもの

別に暑くもないのに、今日のテレビ番組は納涼ネタが多いようですね。
で、私も一つ思い出したことが。

たぶん大学生の頃ぐらいの、私の実体験です。

まだ明るい時間帯だったのですが、自分の部屋で、一所懸命、眠ろうとしていました。
おそらく前日、麻雀か何かで徹夜して、その日は夕方から居酒屋のバイトが入っていたのだと思います。
その前に一眠りしておきたい、ということで。

寝てないから眠いはずなのですが、明るいせいか、目がさえてなかなか眠れない。
それでもようやく少しうつらうつらしてきたかな、というところで……

何だか、枕元で、誰かが騒いでいるような気がしてきました。
眠らせないように、邪魔をしているような感じ。
それでも目を開けずに、眠ろう眠ろうとがんばり続けていると……

いきなり誰かに胸をたたかれ、驚いて、思わず目を開いてしまいました。
すると、たぶん今胸をたたいた手が、すうっ、と空中に消えていくのが見えました。

そのとき、不思議と怖いとかはあまり感じなくて、むしろ「いいネタができたなぁ」と思っていました。(^^;)

実際に、その後、飲み会などで何度かこのネタは使ったと思うのですが、受けたかどうかはよく覚えていません。
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2008年08月18日

嘘発見器

そういえば、嘘発見器って、現在でも使われているんですかね?

それ以前に、そもそも、嘘発見器って本当に嘘を発見できるものなのでしょうか?
Wikipediaの記述によると、「効果が疑問視されながらも使用され続けている」らしいですが……。


前にも触れたこの本では、「嘘発見器」というスタックも作ってしまいました。

通常は振幅の小さいサインカーブが描かれているのですが、質問を受けて動揺すると、それが大きく振れて音が鳴る、というものです。

もちろん、血圧や心拍数を読み取るデバイスなどは使えるわけもないので(^^;)、マウスコードを手首にぐるりと巻いたうえでマウスを机に置き、動揺で生じた微妙な動きをグラフに反映させる、という方式にしました。

こんなもので本当に「嘘が発見できる」と思ったわけではありませんが、質問内容が面白くて、質問される側がそれなりに協力的であれば(^^;)、パーティーなどでちょっとは盛り上がるかな、と。

当時、実際にそういうことをやっているテレビ番組がありましたし、その手のパーティーグッズも売られていたような気がします。

こういうちょっとしたおもちゃが比較的簡単に(少々、三角関数の復習は必要でしたが)作れてしまうところが、HyperCardというソフトの面白さだったんじゃないかな、と改めて思います。

あと、マウスはやっぱりコードがあったほうがいいのではないか、と……(結論、そこ?)
posted by 土屋和人 at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話